2013年11月10日
久しぶりの投稿となりました。細々と継続しております、こちらの三味ペディア。
本日は、しまうた
漢字で書くと、島唄 もしくは 島歌 がよく使われます。
この言葉でまっさきに思い出すのは、The Boomが、1992年に初めて発表した『島唄』という大ヒット曲、ロングヒット曲を思い浮かべる方がほとんどかと思います。
この曲の発表当時、わたくしは大学1,2年生ごろでしたが、那覇出身の同僚が興奮してテレビを観ていたのを、よく記憶しております。あの時に、宮沢和史さんが抱えていた、蛇皮の三味線こそが三線という楽器で、あの時に初めて観たと記憶しております。
そして、私が、本格的にこの三線という楽器に興味を持ち始めたのは、楽器販売の会社に入ってからの1998年頃で、この頃からこの楽器や周囲の音楽等に興味を持ち始め、さらに販売もし始めたわけです。その際に、沖縄音楽のガイドブック等も熟読していた時代なのですが、このガイドブックに掲載されていたジャケットに衝撃的なものがありました。
この、里国隆というアーティストが、ガイドブックの後ろの方の、奄美民謡のコーナーに紹介されてました。この路上に佇む、ブルージーなルックス。サングラスに竪琴という異様な姿に、一気に引き込まれ、彼のCDを即購入し、そこから私の奄美民謡への傾倒が始まりました。
そして、奄美民謡関連の文献を読み漁るうちに、実は、この「しまうた」という言葉は、奄美固有の言葉だということを知りました。
さらに、「しま」には、主に『シマ』を当てるのが通常で、これは、いわゆる島(island)のことを指すのではなく、主に、奄美大島島内の個々の集落や地区を意味します。
私も10年ほど前に、奄美大島を訪問したことがありますが、沖縄本島や石垣島同様大きな島なのですが、決定的に違うのが、山岳地帯が多く、アップダウンが激しいことです。今となっては、バイパス的なトンネルが各地に掘られ、交通の便も飛躍的に発達したようですが、つい数十年前までは、それこそ山道を何時間もかけて名瀬等の島内中心街に向かっていたということで、その昔の時代は、あまりの山道の険しさに、隣の集落との交易には、同じ島にも関わらず船を使っていたということです。
私も10年前の訪問時に、嘉徳という集落に行ったのですが、この集落に車で向かうには、山の頂まで上った後に、日光のいろは坂のようなくねくねした坂道(しかも、舗装されていない!!)をひたすら降りていくのに、ものすごいカルチャーショックを受けた覚えがあります。
つまりこれだけ、各地区、各集落の隔たりが大きな島だったということが、容易に察することが出来ます。
今でも高齢者を中心に、自分の出身地区以外の奄美民謡の曲は、シマ唄と呼ばないことが多いらしく、その辺りが、この言葉の本来の由来を、リアルに物語っているところであります。
※ 奄美民謡そのものについては、改めて別稿で触れたいと思います。
本日は、しまうた
漢字で書くと、島唄 もしくは 島歌 がよく使われます。
この言葉でまっさきに思い出すのは、The Boomが、1992年に初めて発表した『島唄』という大ヒット曲、ロングヒット曲を思い浮かべる方がほとんどかと思います。
この曲の発表当時、わたくしは大学1,2年生ごろでしたが、那覇出身の同僚が興奮してテレビを観ていたのを、よく記憶しております。あの時に、宮沢和史さんが抱えていた、蛇皮の三味線こそが三線という楽器で、あの時に初めて観たと記憶しております。
そして、私が、本格的にこの三線という楽器に興味を持ち始めたのは、楽器販売の会社に入ってからの1998年頃で、この頃からこの楽器や周囲の音楽等に興味を持ち始め、さらに販売もし始めたわけです。その際に、沖縄音楽のガイドブック等も熟読していた時代なのですが、このガイドブックに掲載されていたジャケットに衝撃的なものがありました。
この、里国隆というアーティストが、ガイドブックの後ろの方の、奄美民謡のコーナーに紹介されてました。この路上に佇む、ブルージーなルックス。サングラスに竪琴という異様な姿に、一気に引き込まれ、彼のCDを即購入し、そこから私の奄美民謡への傾倒が始まりました。
そして、奄美民謡関連の文献を読み漁るうちに、実は、この「しまうた」という言葉は、奄美固有の言葉だということを知りました。
さらに、「しま」には、主に『シマ』を当てるのが通常で、これは、いわゆる島(island)のことを指すのではなく、主に、奄美大島島内の個々の集落や地区を意味します。
私も10年ほど前に、奄美大島を訪問したことがありますが、沖縄本島や石垣島同様大きな島なのですが、決定的に違うのが、山岳地帯が多く、アップダウンが激しいことです。今となっては、バイパス的なトンネルが各地に掘られ、交通の便も飛躍的に発達したようですが、つい数十年前までは、それこそ山道を何時間もかけて名瀬等の島内中心街に向かっていたということで、その昔の時代は、あまりの山道の険しさに、隣の集落との交易には、同じ島にも関わらず船を使っていたということです。
私も10年前の訪問時に、嘉徳という集落に行ったのですが、この集落に車で向かうには、山の頂まで上った後に、日光のいろは坂のようなくねくねした坂道(しかも、舗装されていない!!)をひたすら降りていくのに、ものすごいカルチャーショックを受けた覚えがあります。
つまりこれだけ、各地区、各集落の隔たりが大きな島だったということが、容易に察することが出来ます。
今でも高齢者を中心に、自分の出身地区以外の奄美民謡の曲は、シマ唄と呼ばないことが多いらしく、その辺りが、この言葉の本来の由来を、リアルに物語っているところであります。
※ 奄美民謡そのものについては、改めて別稿で触れたいと思います。
2012年04月05日

久々の三味ペディア。
音緒と書いて、ネオと読む。
根緒と書く場合もある。
私個人的には、「音の緒」という大変情緒のある響きから、こちらを好みます!!
沖縄三線においては、糸掛けに相当する部分であり、音緒の方が組紐で編まれており、丈夫で大きい。
さて、ここで音緒への糸の結び方を。様々なジャンル、流派等が存在する三味線界においていろいろな結び方が説明されているが、ここ独断と偏見(笑)で私が最もわかりやすいと思った結び方を、私の手作り感満載(笑)のパワポ画像を下記に。。。

この時、音緒の根元の方に糸が結びつけられているのが望ましい。